出光佐三 初代理事長 50 周年誌「松ヶ江」より
出光氏、ゴルフ亡国論から効用論へ

ゴルフ場建設委員会のメンバーは、三井、三菱、郵船、商船、日銀、門鉄等そうそうたる顔振れが揃っているが、殆んど東京本社の出先機関で、支店長たちはオーナーではなく傭われ社員に過ぎない。当時ぜいたくな遊びごとと考えられていたゴルフ場に、巨額の投資を許される時代ではなかった。度々集まっては、小田原評定を繰返していたらしい。
出光さんは、昭和7年に門司の商工会議所会頭に就任され、石油業の方は、満、鮮、台、上海等、主として大陸で急速に商勢を拡張中であった。しかし、この出光さんが、ゴルフ亡国論を唱えて、ゴルフ場建設には反対していたので、仲々、メンバー組織によるゴルフ場の建設話ははかどらなかった。
出光さんのゴルフ嫌いの理由は次のようなことであった。

  1. ウィークデーに、プレーするのは有閑階級の遊びごとで、亡国的遊戯である。
  2. ゴルーファーになると、宴会でも車中でも、ゴルフの話ばかりで、はた迷惑である。
  3. ニッカーボッカーにハンチングという服装がいやらしい。

もちろん、出光さんも喰わず嫌いであることを見抜いた日石の堀江販売課長が、ある日東京に上京中の出光さんを千葉のゴルフ場に誘い、陳清水プロを付けて無理矢理にプレーさせたという。
それが、きっかけになって、俄然ゴルフファンに転向されたらしい。
私が、出光さんからお聞きしたゴルフ効用論を紹介すると次のようなことである。

  1. ゴルフは、自分で審判した結果を他人に認めて貰う 良心的競技である。
  2. 健全な社交保健スポーツである。
  3. 門司港を通過する年間1000人以上のゴルフ愛好者に最も適当で必要なスポーツ施設である。
  4. キャディの風紀が悪くなることはない。むしろ田舎娘(今のことではない)が、ゴルフの規則を覚えて、しかも行儀よく勤めている。
  5. ウィークデーにプレーすることは良いことではないので、自戒すればよい。
俺がやっちゃろうか
しかし、門司ゴルフ場の建設計画が一向に進まないというので「俺がやっちゃろうか」と、首を突込むことになった。
出光さんが委員会に出席して聞いていると資金が集まらないで行詰っていることがわかった。金は北九州の大会社に会員券を割当てて出して貰えばいいではないか、俺が割付けて集めてやると、一番困難なことを引受けられた。
一方、ゴルフ場の設計、用地の借り上げ等着々と準備を進め、昭和 9 年 11 月には 9 ホールであったがオープンするという早手回わしであった。
私が出光さんに、「もし会員券が予定通りに売れなかった時は、どうする積りでしたか」と尋ねると、出光さんは、「私が背負い込んで仕末することになっただろう」と答えられた。
初代理事長に就任されたが、このゴルフ場には三つの特長がある。
その一つは、大分から大工をつれて来てかや葺きの丸木組のクラブハウスを 5 千円で建てさせた。当時もうコンクリートの家には倦きている会員には評判がよかったよと言っておられた。
その二つは、国際航路の船旅に倦き倦きしている船客に対して、船長または事務長にビジタースカードの発行をまかしたことだ。コンペのある日でも、その中に加えて必ずプレーさせた。それは、船客で門司に上陸するものがふえて、関門の繁栄にもなった。
その三は、門司ゴルフ場は、門司の繁栄にも役立っているので、市から観光協会を通して、毎年千円の補助金を出させていた。当時の千円という金は、ゴルフ場の経費の助けになった。
ゴルフ亡国論 後日談 50歳で心境一変
初代理事長出光佐三氏はゴルフ亡国論者として有名であった。その出光さんが、松ヶ江コース建設に反対の村人たちを説得されている。そのときの心境、考え方を会報 No.1(1959 年)に寄稿されており、味わい深いものがあるので収録しておく。
私はゴルフをやるようになってから、人間は喰わず嫌いをしてはならないという尊い悟りを得ました。それも 50の人生を通り越してからの悟りで誠に遅すぎました。30 代、40 代の私は血気に任せてゴルフ亡国論を、内地はもちろん満州、朝鮮、台湾と振りまわして、友人ゴルファーをこきおろしたものです。
その私が 50 歳にしてクラブを振り回すや、心境は一変した。ボールはラフの中から欲を去れと笑う。バンカーの中で打ったボールは元の足跡にころがりこんで無我になれと笑う。土手にぶっかって、はね返っては無心になれと教える。
忘れもせぬ 54、5 歳のころ、私は長い病をして 2、3ヵ月の間家に引き籠った。病も癒えたので秋の小春日を浴びて霞ヵ関の芝の上に立った。久しぶりのプレーである。私はパートナーに迷惑をかけないように、あまり見にくいことをやらないようにと胸一パイである。競技は終った。競技板には第1位出光佐三とある。私のことである。虚心無欲の賜杯である。かくして無心の心境は私のゴルフの一生にレコードの花を飾った。
無の心境こそゴルフの尊厳である。戦いに勝つことは勝とうと思わぬがコツである。営利のコツは儲けようとせぬことである。白いボールはうなりつゝ春霞の中に飛びまた飛ぶ。喰わず嫌いの私の狭い心も青空にカッ飛ばされつつ私は老後のゴルフに精進している。
そして私はウィークデーだけはプレーを慎んでゴルフ亡国論に答えている。
門司ゴルフ場建設に対して地元の松ヶ江地区から抗議が出た。第一、贅沢な特権階級の遊び場をつくられることは賛成できぬ。またそうぃう遊び事に子供を使われることは教育上困るという。当時は勤倹力行とか質実剛健とかいうことが思想の中心となって、物資に恵まれない日本として人的資源を尊重し、これをもって天然資源の貧困を補おうとした時代としては、誠にもっともな言い分であり結構な考え方であると私は感激したのである。
しかし、かってのゴルフ亡国論者である私は、じゅんじゅんと説いた。ゴルフは紳士の運動である。最も礼儀を重んじ、動作を正しくし、心身共に健全にするスポーツである。ゴルフは審判者を用いず、各人の良心の審判に任すことになっている。こんなスポーツは他にないように私は思う。もし故意にこの尊厳を犯すならば除名の憂目を見、紳士としての交際はできなくなる尊い運動である。キャディとしての子供も、知らず知らずの間に動作を正しく礼儀を重んずるようになり、子供の教育には誠に結構な仕事である。――と説いて了解を得たことを覚えている。