昭和9年(1934 年)に上田治氏が作成した手書きの松ヶ江コース設計図原案
後に名匠と呼ばれるコース設計家の第一歩がここから始まる

昭和9年11月 9ホールで開場。設計:上田治。同氏が設計を手掛けた日本最初のコース。
昭和25年7月 9ホールで再開。
昭和28年11月 18ホールに拡張。設計:上田治。
OUT
No. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 Total
PAR 4 5 3 5 3 4 4 4 4 36
Full Back 380 495 210 565 170 410 415 350 400 3,395
Back 370 480 195 553 170 397 400 350 385 3,300
Front 360 465 175 540 155 380 386 337 370 3,168
Ladies 353 420 135 523 140 320 332 325 300 2,848
HDCP 11 3 15 1 17 7 5 13 9
IN TOTAL
10 11 12 13 14 15 16 17 18 Total
5 3 4 4 4 4 5 4 3 36 72
525 225 420 340 360 395 520 330 190 3,305 6.700
512 200 410 340 360 385 520 330 165 3,222 6,522
505 180 387 325 340 370 503 310 140 3,060 6,228
490 130 263 302 330 360 440 210 127 2,652 5,500
2 16 6 8 14 10 4 12 18
昭和9 年開場時9 ホール
OUT
No. 1 2 3
PAR 4 4 4
Back 355 385 400
IN TOTAL
4 5 6 7 8 9 Total
5 4 3 4 4 3 35
510 330 215 415 355 160 310
上田 治氏へ設計依頼の経緯
初代理事長 出光佐三氏の「海賊と呼ばれた男」の片鱗がここに

出光さんは会報誌松ヶ江No.28(1967年)掲載の座談会の中で設計を上田治氏に頼んだ事情について次のとおり述べておられる。
『当時、東京の朝霞コースが日本一といわれていた。アリソンという人が設計したもので、アリソンバンカーといわれるむずかしいバンカーがあった。関西の廣野もアリソンの残したコースです。その廣野の高畑誠一君(日商株式会社(後の日商岩井、現・双日)の
元会長)が、ぼくと学校が同期だった関係で、彼に頼んで上田治君にここへ来てもらった。廣野じゃ上田君をよそに貸すのはうるさかったらしく、工事中に高畑君が、ここへやって来て、“内緒にしてくれよな”っていってましたがね。で、昭和9年の5月に工事を始めて、
6 ヵ月目にはもう仮オープンした。これは日本で最も短期間にコースをつくったレコードになっていますよ。』
発見!! 上田 治氏、かく語りき、処女作「松ヶ江」コースへの思い
会報誌「松ヶ江」№11 号(APR. 1962)に掲載された「松ヶ江の設計あれこれ上田 治氏に聞く」より2 ページの短いインタビュー記事ですが、「松ヶ江」コース生みの親の「生の声」が聞けたようで郷愁と感動を覚え原文のままご紹介します。 ※赤字はコメント抽出、青字は現広報委員長談


【聞き手】
増田寿郎氏(2002 年7 月5日没94 歳) 門司ゴルフ倶楽部会報誌「松ヶ江」初代編集委員長(創刊号~ 14 号担当)朝日新聞社常務取締役、西部本社編集局長、名古屋本社編集局長、門司ゴルフ倶楽部会員、相模カンツリー倶楽部会員

上田 治氏 紹介
門司松ヶ江コースの設計者。旧京都帝大造園学科卒。戦前廣野、旧朝霞、川奈富士コース(これは設計図面だけ)を設計した英人アリソン氏(アメリカの著名なゴルフ設計家)を助け、その手法を日本のゴルフコースに採り入れたこの道の草分け。今も国内各所のコース設計に活躍している。(紹介文は№11 号のまま)
松ヶ江は地形に恵まれている
増田 門司クラブに姿をみせたある日、上田氏をロビーにつかまえて、松ヶ江コースのあれこれ話を聞いてみた。
増田
松ヶ江を設計された当初の構想を
上田 松ヶ江は地形が恵まれています。ですから余りいじらなかった。
ただ18 番の池の端にクラブハウスを、とういうのが注文だった。それでラストホールがショートホールになった。しかしこれはこれでよいではないですか。ほかのクラブでも例がないこともありません。

18 番池越えのショートホールは松ヶ江コースを代表するシグニチャーホールとなっています。
増田
ゴルフコース設計の勘どころは
上田 変化(バラェティ)と楽しさ(コンファタブル)これが要件です。
まず各ホールごとに印象が残らないようでは、それはよいコースとはいえません。コースには常にアクセントとアクセサリーをつけること、これが原則の第一です。その点からは松ヶ江の各ホールにはベストを尽くしたつもりです。つぎにスムースに進行出来ること。きつすぎてもいけない。大多数の方に大多数の楽しみを味わってもらうことが大事です。

多くのメンバーより松ヶ江は春夏秋冬いつラウンドしても飽きないという声をよく聞きます。
ハーフを徒歩1時間半でラウンドできるのは他のゴルフ場では真似できません。
アリソンの手法のきびしさ
増田
アリソンの手法というのは、どんなところにあるのですか
上田 楽しさというか愉快にプレー出来る(コンファタブル)と同時にアリソンの原則はペナルティが厳しいことです。
たとえば9 番左側のダブルのクロスバンカー、あれなどは戦略的であると同時に、きびしい例です。

90 年後の今でもそのペナルティをいやというほど味わされております。それを克服できた時に「コンファタブル」が得られるのでしょう。
増田
グリーン回りのバンカーも多いですね
上田 松ヶ江は距離が短いからあき易い。アリソンの手法はアローアンス(許容)が少ないことです。流れ球が乗るのはグリーンではない。
従って砲台形(プラトー)が多く、キチッとしたショットでないとオンが難しい。又ランで乗るチャンスが少ないように傾斜(フォロー)がつけてある。これはメンタルにもテクニカルにも難しくしてあるのです。

キチットしたショットですね、皆さん最新の道具とボールを駆使して必死に挑んでいますが、何度も何度も傾斜(フォロー)からボールが戻ってきます。
幾度となくメンタルはボロボロにされ、また頼るべきテクニカルも当てになりません。

OUT 9番ティーより

IN 10番ティーより
グリーンは注射も利かない
増田
松ヶ江はグリーンが悪い。これさえ良ければ…というのが大方の声なのですが
上田 ごもっともです。このグリーンは老化しているのです。大体グリーンは5 年位で更新すべきなのです。爺さん、婆さんにいくら注射してもダメです。
ですから本グリーンを張り替えること。その時に砂と堆肥を入れて土をやわらかくすること。それと併行してサブグリーンを造ることです。
増田
松ヶ江のグリーンの広さはどうです
上田 狭くありません。この程度の広さで技(わざ)を競っていただきたい。パターの距離にも限度というものがあります。まずエッジからピンへ30 ヤード程度でしょう。オンしても3 パットでなければというようでも困ります。
増田
ベントグラスは松ヶ江にどうですか
上田 これは南に近づくほど不適なのです。土地に合わないことはないがキープに苦労が多いのです。川棚(下関)とか古賀のように海岸は風通しもよくてよいのですが。
また姫高麗も芽が小さく弱い。それに踏圧に弱いので浮き気味になる。松ヶ江は中芝が良いと思います。
良いグリーンがあったり悪いところがあったり、また高麗芝ありベントありではプレーヤーはノイローゼになってしまう。むしろ中位でも良いから均一であるべきです。
18 番にチャンピオンティを
増田
松ヶ江の生みの親というか、育ての親として今後のお考えは
上田 18 番のティグランドをもう一つ奥に(現在のバックティより)広くとりたいですね。チャンピオンシップのティを造ることです。14 番も右の奥にグリーンを造る計画ですからこれは良くなるでせう。

上田 治氏がご健在であれば今のコースにどの様な手を加えられるか想像するしかありませんが、2015 年にはIN 18 番にチャンピオンシップティが造成されました。
増田
練習場の問題もあるのですが
上田 2 番をつぶして、改造する考え方もあるようですが、現在の2番も悪くないですよ。あれには手をつけないのがよいと思います。練習場は現在のままで手を加える方が良くはないですか。

2 番の100 ヤード地点から見える左右にバンカーがせり上がるグリーンの造形は、上田氏を代表するものとして、内外より高い評価を得ています。
増田
コースに花も欲しいですね。よそのクラブでよく見かけますが
上田 そうです。ゴルフコースは山ではなく、庭なのですから。松ヶ江も専門の園芸係りを1 人おくと良いと思います。

マスターズが開かれるオーガスタインターナショナルを想像してしまいますが、「ゴルフコースは山ではなく、庭なのですから」名言です。

IN 18番ティー

OUT 2番グリーン

今、もし上田 治氏がご健在であれば、お尋ねしたいことお聞きしたいことが何時間いや何日あっても足らないことでしょう。しかし、それは叶わぬことですが、この短いインタビュー記事を読みながらご本人から直接お話をお聞きした気分になりました。
皆様もそれぞれ感ずるところがおありかと思いますが、90 年の歴史を重ねる「松ヶ江」コースを、上田 治氏と、その師匠であるC. H. アリソン氏の設計思想に想いを馳せ「ペナルティ」「少ないアローアンス」を乗り越え「タフなメンタルとテクニカル」で、あらためて「コンファタブル」を実感されてはいかがでしょう。
上田 治クラッシック会
【主旨】
上田治氏設計の代表的なコースで「上田治クラシック会」を結成して、地域を越えて趣の違った設計コースでお互いにゴルフを楽しむチャンスの拡大と会員間の親睦交流をはかり、お互いのコースのステータス向上を期待し、倶楽部運営活性化の一助として提携する。平成21 年に次の5 倶楽部、門司ゴルフ倶楽部(福岡県)、古賀ゴルフ・クラブ (福岡県)、下関ゴルフ倶楽部( 山口県)、小野ゴルフ倶楽部 (兵庫県)、大阪ゴルフクラブ(大阪府)で結成され、現在は下記の8 倶楽部で所属会員の相互利用(上田治会料金)、懇親競技、会報他の情報交換を行い研鑽を図っている。

上田治クラシック会加盟の8倶楽部は、それぞれの地域を代表する名門ゴルフ倶楽部です。

門司ゴルフ倶楽部
福岡県
1934 年11 月3 日開場
大阪ゴルフクラブ
大阪府
1938 年7 月25 日開場
古賀ゴルフ・クラブ
福岡県
1953 年10 月10 日開場
下関ゴルフ倶楽部
山口県
1956 年7 月22 日開場
奈良国際ゴルフ倶楽部
奈良県
1957 年11 月3 日開場
小野ゴルフ倶楽部
兵庫県
1961 年11 月3 日開場
茨城ゴルフ倶楽部
茨城県
1962 年9 月28 日開場
広島カンツリー倶楽部八本松コース
広島県
1963 年11 月17 日開場